どうも。
今日も今日とて空いた時間を見つけては
スマフォでネットサーフィンを楽しむ
投稿主です。
芸能ゴシップや心が和むアニマル系‥等
ジャンルを限定せず読み漁っていたら、
少し気になるものを発見。
それは
「ミスター・ポーゴさんが亡くなった」
というニュース。
正直、初めて聞いた名前ですが
「悪役レスラー」と記載があるので
「プロレスラー」として活躍をされていた方と
いうことはなんとなく分かります。
訃報がきっかけで興味を持つというと
少し語弊がありますが、今回はお亡くなりに
なったミスター・ポーゴさんについて
調べてみたいと思います。
私が気になったのはこの2点。
①ミスター・ポーゴさんの経歴
(現役時代どんな活躍をされていたのか)
②亡くなった理由(死因)
それでは、どうぞご覧ください。
◆ミスター・ポーゴさんについて
先ずはミスター・ポーゴさんのプロフィールや
経歴を見てみましょう。
本名:関川 哲夫 (せきかわ てつお)
リングネーム:ミスター・ポーゴ
ニックネーム:極悪大王
生年月日:1951年2月5日
没年月日:2017年6月23日 満66歳
身長/体重:185㎝/130㎏
出身地:群馬県伊勢崎市
リングネームについてですが、
ミスター・ポーゴ以外にも複数お持ちだったようです。
(下記参照)
・ザ・グレート・ポーゴ
・ポーゴ大王
・大ポーゴ大王
・ミスター・セキ
しかし、なぜ「ポーゴ」??
と不思議に思い名前の由来を
調べてみたところ、こんなエピソードを発見!!
リングネームは、本名の一部から『ミスター・セキ』(Mr.SEKI)。
のちに、日系レスラーの大先輩であるグレート東郷にあやかり、
『ミスター・トーゴー』(Mr.TOGO)に改名した。
しかし実際には対戦表に『ミスター・ポーゴ』(Mr.POGO)と
誤記されてしまう。
プロモーターのテリー・ファンクに、
これが誤記である旨抗議したが「俺がこの名に命名した」と
押し切られてこのまま「ポーゴ」の名を用いるようになった。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%B4より引用)
まさかの誤記だったとは・・・(苦笑)
色々考えて改名したのに誤記のまま
押し切られるって、「おいおい(汗)」って
感じですね(^_^;)
続いて、ミスター・ポーゴさんの経歴ですが
プロレスラーとしてデビューをされてからのものを
まとめてみました。
1972年3月20日
足立体育館の藤波辰巳戦でデビュー
翌1973年
ロッキー青木に憧れ、渡米。
喧嘩風ショーマン・スタイルを習得し、
海外で活躍。
当時のリングネームは「ミスター・セキ」
1986年
ケンドー・ナガサキとのコンビで
IWGPタッグ王座に挑戦。
1988年
ブルーザー・ブロディ刺殺事件以降、
興行数が激減。
日本に戻り、プラスチック成形工場で働く。
1990年
大仁田厚が起ち上げた新興団体FMWに
誘われ国内復帰。
翌1991年
FMWから分裂してできたW★INGに移籍。
若手を率いて過激なデスマッチ路線を推進。
1993年
W★INGを単身離脱。FMWに戻り
ヒール殺法に磨きをかける。
1996年
膝の悪化を理由に引退宣言。
しかし、翌年にカムバック(-w-;)
2000年
地域密着型プロレスWWSを旗揚げ。
2003年
故郷の伊勢崎市議会議員選挙に
立候補するも落選。
2008年
自身の生い立ちからプロレスラーとなった
経緯を詳細に記した自叙伝を刊行。
2009年
選手活動を本格化。
現役プロレスラーとして完全復帰を果たす。
◆亡くなった経緯
亡くなった経緯ですが、ミスター・ポーゴさんの
関係者がこのように話をされています。
腰の手術を行っている最中に、血圧が低下し、
脳梗塞を発症した。
(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170623-00000101-sph-fightより引用)
長く患っていた病気が原因ではなく
手術中の急な体調変化・・・
ご家族や親しい方々にとっても
ミスター・ポーゴさんの訃報は
本当に突然のことだったんでしょうね(´・_・‘)
◆まとめ
・ミスター・ポーゴさんの死因は
手術中の急な体調の変化。
以上がミスター・ポーゴさんについて
調べた内容です。
プロレスラーとして長く活躍された
ミスター・ポーゴさんの安らかなご冥福を
お祈りいたします。